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ブログ更新【最近読んだ本について】

こんにちは。税理士法人PLUS-ONEの大川です。

「読書の秋」という言葉を聞いたことがある方は多いと思いますが、なぜそう呼ばれるかご存じでしょうか。その由来は、中国の詩人韓愈(かんゆ)が息子に学問を勧める詩「符読書城南詩(ふどくしょじょうなんし)」を詠み、その中に「燈火(とうか)親しむべし」という一節があることにさかのぼります。「秋になり涼しくなってきて、夜にはようやく明かりの下で読書をするのに適した季節になった」という意味です。そして、この「燈火親しむべし」という言葉を、夏目漱石の小説『三四郎』で引用したことが、日本国内で広まり定着したという説が有力とされています。

今年は猛暑が長く続きましたが、ようやく涼しく過ごせる時期になりました。四季がだんだんなくなってきているような気もしますが、進んで「読書の秋」を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

今月の書籍紹介:『超訳・歎異抄』安永雄彦 著

『歎異抄(たんにしょう)』は、鎌倉時代の浄土真宗の僧・唯円(ゆいえん)によって、その師である親鸞(しんらん)の教えを正しく記録し、後世に伝えるために著されたとされています。親鸞は浄土真宗を開いた人物で、「念仏ひとつでどんな人でも救われる」という浄土宗の宗祖である法然(ほうねん)に弟子入りしました。法然が亡くなってからも念仏の教えを説き、やがて浄土真宗を開くに至ります。「歎異」という言葉は、「異なることを歎く」という意味、つまり「正しい教えとは異なる解釈を嘆く」という意味を持っています。

中でも「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という一節は有名ですが、字面をそのまま読むと意味が分かりにくいかもしれません。これは「善人でさえ阿弥陀様の救いによって往生できるのだから、ましてや悪人ならなおさら救われる」という意味です。

では、なぜ善人より悪人の方が救われるのか。これは、『歎異抄』における善人と悪人の定義が現代のそれとは異なるからです。

善人:自分の中にある悪に気づかない人(自分の力で善をなせると過信している人)。

悪人:自分の中にある悪に気づいている人(自分の力ではどうにもならないと知っている人)。

つまり、自分の限界を認め、阿弥陀仏の力に頼る人こそが救われる、という解釈につながります。

また、「他力本願」という言葉も、仏教(特に浄土宗)に由来します。現代では、「自分は努力しないで、他人がしてくれることに期待をかける」というネガティブな意味で使われることがあります。しかし、本来の意味は「自分の力だけではどうにもならないことを認め、阿弥陀様のすべての人々を救済したいという願い(本願)の力(他力)によって救済され、極楽浄土を遂げる」という、極めて深い意味を持っています。これはまさに「歎異」が生んだ誤解の一つとも言えます。

 

【読書を考えている方へ】

『歎異抄』は、ビジネスパーソンへの心得として活用できると思います。特に真面目で頑張り過ぎる方は、他人の助けを借りることに躊躇しがちです。しかし、この本は、助けてもらうことは悪いことではなく、人として支え合うことの大切さを教えてくれます。

多くの著者の方が、ご自身の知識や体験をもとに『歎異抄』に関する本を出版されています。ご自身に合った一冊を見つけるために、ぜひ書店に足を運んでみてください。

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